私の部屋は大きくない。
父や弟の部屋は私の部屋の4倍あるが、この家族間格差もいづれ家を出ると思えばなんともない。
昨日の夜、いらないけど、捨てられなかったものを大量に捨てた。
ゴミ袋(大)の4袋分にもなる。
いつか使うかもしれないと置いていた段ボールや、資料にと買ったもう時代遅れのファッション誌や、手作りのレースや編み物、下手くそなレジンアクセサリー。
私はゴミを集めて、ゴミを生産していたのだなあと思った。
それでもまだ、捨てられないものがある。
古い古い画材だ。東京にいた頃、貧乏だったけど、一生懸命集めた画材。
もう絵はパソコンやipad で描くからいらないんだ。
捨てられないのは、思い出なのか、執着なのか。
ああ、そうだ。高かった美顔器や、セルフネイルの道具や、アロマオイルも捨ててしまおう。
大好きだった人とのやりとりに使ってたガラケーや、
元彼からのメッセージカード。
要らないものだ。捨ててしまおう。
でも、なぜか、今までの人生を否定してしまったような寂しさが残る。
まだ、お金がないから、この家から出ていけないけど、
もし、出て行くときに持っていかないと思えるものは、
今でもいらないものなはずだ。
一抹の寂しさは残るけど、
いらないものを捨てる行為は、いらないものを買う抑止力になる。
ああ、だけど、いろんなものがゴミのように見える。
ゴミのようなものを宝物にできる人は心がまだ子どもなんだ。
大人になってしまったのか?
いや、年齢的にはとうに大人なんだけどさ。
カフェに逃避するのは、家の居心地が悪いからだ。
おうちカフェ化計画!
要らないものが多すぎる。
今日おうちに帰ったら、
また要らないものを捨てる。
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